保険の要・不要の判断基準
拍手コメントで「保険について思うことをもっと書いてほしい」という旨のご意見をいただいたので書いてみることに。
私は金融機関の人間ではないので”お得な保険”などは知らないのですが、自分なりの「保険加入の要・不要」を判断する基準はなんだろうと考えるようにはなりました。
あくまで保険に詳しくもない私個人の考えとなりますが、
最初に結論を言っておくと,、自分が保険の加入の要・不要を検討する時の基準は「自分のカネや社会保障で対処できるかどうか」です。
以下、私の思考に続く。
私は金融機関の人間ではないので”お得な保険”などは知らないのですが、自分なりの「保険加入の要・不要」を判断する基準はなんだろうと考えるようにはなりました。
あくまで保険に詳しくもない私個人の考えとなりますが、
最初に結論を言っておくと,、自分が保険の加入の要・不要を検討する時の基準は「自分のカネや社会保障で対処できるかどうか」です。
以下、私の思考に続く。
保険。
誰しも社会人になった暁にと「社会人になったから」「大人になったから」という理由で保険加入を促されたことがあるのではないでしょうか。
その風潮を感じる機会は会社から送られてくる団体保険のパンフレットだったり、友人知人の紹介だったり、職場に営業に来る生保レディーの勧誘だったり、または保険会社のプロパガンダかもしれませんが。
こういった啓蒙を受けて、とりわけお金のことを学ぶ機会がなかった私たちは、「いい歳して保険に未加入でいいのかな?」という心理を大なり小なり持つのだと思います。
私の周りでも「そろそろ保険に入った方がいいのかなあ」「将来の年金制度が維持されているか不安だから個人年金保険に入っている」という話をよく耳にしますし、私も20代前半の頃は何かしら入ろうと思っていました。
投資ブロガーさんの間では保険全般(その中でもとりわけ資産運用や貯蓄性を謳う商品)は手数料が異常に高い上にその手数料が開示されていないことから毛嫌いされる傾向にあるように思いますが、運用など保険本来の機能とは異なる機能が付加された保険商品の是非はさておいて、シンプルな保険は「不要」なのでしょうか。
思うことをつらつら書いていきます。
■前提:まず、「自分にとっての人生での脅威」とは何か考える
保険の要不要の判断基準とか言う以前の話ですが、まずどんなリスクがあるのか想定することから始める。
リスクを認識しなければ要不要の判断はもちろん、必要な金額も計算できず、適切に対処することはできないと思います。
保険とはその事態が発生した時にカネが支払われる仕組み。
まずは自分にはどんなとき、どんなリスクが発生する可能性があって、その時は誰が困り、問題を解決または軽減するにはいくら必要なのか考えることが必要なのではないか。
それがわからずして何かの保険に入ったとしても、仮初めの安心しか得られない。
自分が死ぬとき。
被災や火事で家や家財を失ったとき。
これから一生働けなくなるようなけがや病気を患ったとき。
人にけがをさせてしまい、莫大なお金を支払わなくてはならないとき。
病気やけがをして入院したとき。
こころを患ったとき。
がんになったとき。
泥棒に財産を盗まれたとき。
寝たきりや認知症になり、介護が必要になったとき。
リストラされたり、仕事を遂行できる能力をけがや病気で失って収入がなくなったとき。
陽気な黒人のリブソン(35)が鼻歌まじりにトラックを運転しながら突っ込んできたとき。
etc…
考え始めるとたくさん出てくるので妄想はここまでにしておいて。
「誰が困るのか」というところは見逃しがちですが重要ではないか。
独身なら自分一人だけのことを考えればいいじゃない、というとそういうわけでもなく。
(独身一人暮らしはあくまで独身一人暮らしであって、天涯孤独というわけではない)
既婚は既婚、独身は独身でリスクが出てくるし、自分だけではなく家族の状況を含めて考えれば、個人(世帯)ごとに想定されるリスクは異なるはず。
ただ想定されるリスクのうちのいくつかは、自分にお金があれば最悪の事態は避けることができる。
というわけで、これら全てのリスクに対応するために保険加入が必要なのかというと、そうではないのだろうと思います。
不要な保険に入りまくって「保険貧乏」になるくらいなら、支払う保険料でリスクに対応するための貯金をした方が合理的です。
■自分のカネや社会保障で対処できるかどうか考える
法人や資産家ならいざ知らず、私のような一般人…個人レベルの資産額ならひとまずこの基準でいいのではないか。
保険に入ったところで、失うのを防げるわけでもないし、失われたものは返ってこない。
保険が補填できるのはカネのみです。
すなわち自前で持っているお金でどうにかなるのなら保険に加入する必要はないし、社会保障が適用できるならそれに頼れば良いとも思う。個人の感想だが。
保険会社のコマーシャルなどでは「この年齢で、この保障で、この保険料?保険料は一生変わらないなんて、安心だネ!」みたいな”あたかもお得”かのようなフレーズも見るのですが、ライフステージや収入・貯蓄額が一生変わらない人生というのはまれですので、それがなぜ大衆向けのCMとして流されていて、一体何を魅力とした宣伝文句なのか不思議です。
何をもってお得とするかにもよりそうですが、保険の要不要を判断する基準は「お得かどうか」では決してない。
保険はその事態が起こりうる期待値から考えればマイナス(=損)です。相互扶助(助け合い)の精神に基づくものの、慈善で運営されているものではない。
得てして、販売すればするほど販売側が儲かる金融商品なのだろうというのが素人の感想です。
さて、「自分の手持ちのカネで対処できない事態とは何か」ということですが、例えば対人対物無制限の自動車保険や、個人賠償責任保険などが適用されるケースを考えてみるとわかりやすい。
自分が車や自転車に乗っていて、他人に寝たきりになるような重篤なけがを負わせてしまった場合などだ。
一瞬の出来事で自分が加害者になり、予期せぬ支払い義務が1億円発生したとして、それを支払える能力が自分にあるかというと…ない。
だが 支払い能力の有無に関わらず、意図せず自分が加害者となる可能性が、この世の中にはわずかながらも存在する。
自分が加害者になってしまったら社会は守ってくれない、ということも考える必要があるのではないか。
だから車を持っている人の大多数は自動車保険に加入する。
一方、自分が障害を負った場合については、一定条件の障害で働けなくなった場合には(保険料を納めておけば)障害基礎年金を受給できるし、重度障害者の医療費については公費による助成を受けることができる。(お住まいの自治体のHP等で要確認)。病気やけがで手持ちの資産以上のお金を払うことになっても、自己負担限度額以上は国が助成してくれる高額療養費制度もある。個人的には頼りたくないが、生活保護制度というセーフティネットも存在する。
こういった制度が存在するものは、懸念するリスクに対しておおよそ必要な金額が比較的計算しやすい。
年齢や所得に応じて自己負担上限額は変わり、必要な金額も人により異なるだろうから、”パッケージングされた保険商品”とは実は使い勝手の悪いものなのだろう。
要は「国が助けてくれない、自助努力じゃどうしようもない事態」に対しては加入を検討してもいいかもなあと思います。
■私の場合はどうだろう
私の条件としては、独身・一人暮らし・30女・すぐに動かせる資金は1000万円くらい。
「お前の資産は2000万じゃないのか?」という話ですが、個別株式や投資信託や個人向け国債、現物資産などの流動性の低い(=すぐに換金できない)資産は、災害時や非常時にはまず動かせないと考えた方が良いだろう。総資産額で考えるのはリスキーだと思います。
他の人の参考になるかはわからんが、現時点での主要な保険の要・不要とそう判断した根拠について考えてみました。
ただ、保険については不勉強のため今後考えを変えるかもしれん。
・医療保険(がん保険・女性特有疾患保険含む)
→不要 社会保障と貯金で対処できるため
・火災保険・地震保険・家財保険
→不要 住居は賃貸かつ資産のほとんどがペーパー資産で、家財が燃えたり流出しても保険で補填しなければならないほど高額なものは持っていないため。失いたくないもの(思い出の品など)はあるが、プライスレスなので保険(カネ)では補填できない。
・自動車保険・バイク保険
→不要 車に乗るようになったら加入が必要になるが、私は現時点で車やバイク(原付)を持っていない。
・個人賠償責任保険
→自転車に乗るし、これは加入を検討してもよいのではないかと思っている。
私は独身だが、お子様がいる家庭はお子さん含めて加入しておいてもいいと思う。
・収入補償保険・生命保険
→必要と判断して加入したが、今後は不要になる。
「自分のカネで対処できるかどうか」という基準で考えると、単純に流動性の高い預貯金を多く持つようになれば保険に加入する必要がなくなる。
私は保険に入っていますが、懸念するリスクに対処できるほどのお金も知識も25歳の私にはなかったので、あらかじめ期間を決めた上で保険に入りました。今も少し思うところがあり、貯金はできたものの継続している。
でも、25歳当時の状況で入った保険の保険料を一生涯ずっと支払い続けるつもりなんぞ加入した時からありません。
どのような人生を選んでもライフステージは変化していくし、私の資産額も収入も、増えたり減ったりして上下していくからだ。
私が変わらなくとも、社会だって、公的保障の内容だって、うつろい変わっていく。
人生には内的にも外的にも、あまりにも変数が多いのだ。
この世の幸運な大多数の人は「リスクが実際に起こるわけがない」のだが、道端を歩いていたらリブソンの運転するトラックが気まぐれに突っ込んでくる、たったそれだけのことで不幸は起こりうる。
だが同時に、金融商品としては検討に値しないような商品に”保険”という日本人が大好きな名前をつけて販売元の稼ぎ頭にしているような商品も窓口には数多存在するのも事実。
だから「保険は加入したほうが良い」「保険なんて要らない」という論旨に基づく諸々の言説は実は正しくもあり、間違ってもいないのかもしれない。
私のような素人は参考にしつつも、全てを鵜呑みにしてはいけないのだと思う。
保険の加入の是非について語る論者は、今これを読んでいるあなたの人生には責任を負わないし、負う義務がない。
これは保険に限らず、健康のこと、政治のこと、貯金の方法、子どもの教育の方法、リブソンのこと、ほとんどのことについてそうだ。
お金そのものもそうだが、保険も人生のリスクをヘッジをするためのただのツール、採り得る選択肢の一つに過ぎない。
リスクヘッジや家族のために熟考を重ねて入ったっていいし、入らなくても大多数の人の人生では影響は出ないだろう。
自分で考えて自分で決めて、自分が納得できる答えが出せることの方が重要なのかもしれない。
誰しも社会人になった暁にと「社会人になったから」「大人になったから」という理由で保険加入を促されたことがあるのではないでしょうか。
その風潮を感じる機会は会社から送られてくる団体保険のパンフレットだったり、友人知人の紹介だったり、職場に営業に来る生保レディーの勧誘だったり、または保険会社のプロパガンダかもしれませんが。
こういった啓蒙を受けて、とりわけお金のことを学ぶ機会がなかった私たちは、「いい歳して保険に未加入でいいのかな?」という心理を大なり小なり持つのだと思います。
私の周りでも「そろそろ保険に入った方がいいのかなあ」「将来の年金制度が維持されているか不安だから個人年金保険に入っている」という話をよく耳にしますし、私も20代前半の頃は何かしら入ろうと思っていました。
投資ブロガーさんの間では保険全般(その中でもとりわけ資産運用や貯蓄性を謳う商品)は手数料が異常に高い上にその手数料が開示されていないことから毛嫌いされる傾向にあるように思いますが、運用など保険本来の機能とは異なる機能が付加された保険商品の是非はさておいて、シンプルな保険は「不要」なのでしょうか。
思うことをつらつら書いていきます。
■前提:まず、「自分にとっての人生での脅威」とは何か考える
保険の要不要の判断基準とか言う以前の話ですが、まずどんなリスクがあるのか想定することから始める。
リスクを認識しなければ要不要の判断はもちろん、必要な金額も計算できず、適切に対処することはできないと思います。
保険とはその事態が発生した時にカネが支払われる仕組み。
まずは自分にはどんなとき、どんなリスクが発生する可能性があって、その時は誰が困り、問題を解決または軽減するにはいくら必要なのか考えることが必要なのではないか。
それがわからずして何かの保険に入ったとしても、仮初めの安心しか得られない。
自分が死ぬとき。
被災や火事で家や家財を失ったとき。
これから一生働けなくなるようなけがや病気を患ったとき。
人にけがをさせてしまい、莫大なお金を支払わなくてはならないとき。
病気やけがをして入院したとき。
こころを患ったとき。
がんになったとき。
泥棒に財産を盗まれたとき。
寝たきりや認知症になり、介護が必要になったとき。
リストラされたり、仕事を遂行できる能力をけがや病気で失って収入がなくなったとき。
陽気な黒人のリブソン(35)が鼻歌まじりにトラックを運転しながら突っ込んできたとき。
etc…
考え始めるとたくさん出てくるので妄想はここまでにしておいて。
「誰が困るのか」というところは見逃しがちですが重要ではないか。
独身なら自分一人だけのことを考えればいいじゃない、というとそういうわけでもなく。
(独身一人暮らしはあくまで独身一人暮らしであって、天涯孤独というわけではない)
既婚は既婚、独身は独身でリスクが出てくるし、自分だけではなく家族の状況を含めて考えれば、個人(世帯)ごとに想定されるリスクは異なるはず。
ただ想定されるリスクのうちのいくつかは、自分にお金があれば最悪の事態は避けることができる。
というわけで、これら全てのリスクに対応するために保険加入が必要なのかというと、そうではないのだろうと思います。
不要な保険に入りまくって「保険貧乏」になるくらいなら、支払う保険料でリスクに対応するための貯金をした方が合理的です。
■自分のカネや社会保障で対処できるかどうか考える
法人や資産家ならいざ知らず、私のような一般人…個人レベルの資産額ならひとまずこの基準でいいのではないか。
保険に入ったところで、失うのを防げるわけでもないし、失われたものは返ってこない。
保険が補填できるのはカネのみです。
すなわち自前で持っているお金でどうにかなるのなら保険に加入する必要はないし、社会保障が適用できるならそれに頼れば良いとも思う。個人の感想だが。
保険会社のコマーシャルなどでは「この年齢で、この保障で、この保険料?保険料は一生変わらないなんて、安心だネ!」みたいな”あたかもお得”かのようなフレーズも見るのですが、ライフステージや収入・貯蓄額が一生変わらない人生というのはまれですので、それがなぜ大衆向けのCMとして流されていて、一体何を魅力とした宣伝文句なのか不思議です。
何をもってお得とするかにもよりそうですが、保険の要不要を判断する基準は「お得かどうか」では決してない。
保険はその事態が起こりうる期待値から考えればマイナス(=損)です。相互扶助(助け合い)の精神に基づくものの、慈善で運営されているものではない。
得てして、販売すればするほど販売側が儲かる金融商品なのだろうというのが素人の感想です。
さて、「自分の手持ちのカネで対処できない事態とは何か」ということですが、例えば対人対物無制限の自動車保険や、個人賠償責任保険などが適用されるケースを考えてみるとわかりやすい。
自分が車や自転車に乗っていて、他人に寝たきりになるような重篤なけがを負わせてしまった場合などだ。
一瞬の出来事で自分が加害者になり、予期せぬ支払い義務が1億円発生したとして、それを支払える能力が自分にあるかというと…ない。
だが 支払い能力の有無に関わらず、意図せず自分が加害者となる可能性が、この世の中にはわずかながらも存在する。
自分が加害者になってしまったら社会は守ってくれない、ということも考える必要があるのではないか。
だから車を持っている人の大多数は自動車保険に加入する。
一方、自分が障害を負った場合については、一定条件の障害で働けなくなった場合には(保険料を納めておけば)障害基礎年金を受給できるし、重度障害者の医療費については公費による助成を受けることができる。(お住まいの自治体のHP等で要確認)。病気やけがで手持ちの資産以上のお金を払うことになっても、自己負担限度額以上は国が助成してくれる高額療養費制度もある。個人的には頼りたくないが、生活保護制度というセーフティネットも存在する。
こういった制度が存在するものは、懸念するリスクに対しておおよそ必要な金額が比較的計算しやすい。
年齢や所得に応じて自己負担上限額は変わり、必要な金額も人により異なるだろうから、”パッケージングされた保険商品”とは実は使い勝手の悪いものなのだろう。
要は「国が助けてくれない、自助努力じゃどうしようもない事態」に対しては加入を検討してもいいかもなあと思います。
■私の場合はどうだろう
私の条件としては、独身・一人暮らし・30女・すぐに動かせる資金は1000万円くらい。
「お前の資産は2000万じゃないのか?」という話ですが、個別株式や投資信託や個人向け国債、現物資産などの流動性の低い(=すぐに換金できない)資産は、災害時や非常時にはまず動かせないと考えた方が良いだろう。総資産額で考えるのはリスキーだと思います。
他の人の参考になるかはわからんが、現時点での主要な保険の要・不要とそう判断した根拠について考えてみました。
ただ、保険については不勉強のため今後考えを変えるかもしれん。
・医療保険(がん保険・女性特有疾患保険含む)
→不要 社会保障と貯金で対処できるため
・火災保険・地震保険・家財保険
→不要 住居は賃貸かつ資産のほとんどがペーパー資産で、家財が燃えたり流出しても保険で補填しなければならないほど高額なものは持っていないため。失いたくないもの(思い出の品など)はあるが、プライスレスなので保険(カネ)では補填できない。
・自動車保険・バイク保険
→不要 車に乗るようになったら加入が必要になるが、私は現時点で車やバイク(原付)を持っていない。
・個人賠償責任保険
→自転車に乗るし、これは加入を検討してもよいのではないかと思っている。
私は独身だが、お子様がいる家庭はお子さん含めて加入しておいてもいいと思う。
・収入補償保険・生命保険
→必要と判断して加入したが、今後は不要になる。
「自分のカネで対処できるかどうか」という基準で考えると、単純に流動性の高い預貯金を多く持つようになれば保険に加入する必要がなくなる。
私は保険に入っていますが、懸念するリスクに対処できるほどのお金も知識も25歳の私にはなかったので、あらかじめ期間を決めた上で保険に入りました。今も少し思うところがあり、貯金はできたものの継続している。
でも、25歳当時の状況で入った保険の保険料を一生涯ずっと支払い続けるつもりなんぞ加入した時からありません。
どのような人生を選んでもライフステージは変化していくし、私の資産額も収入も、増えたり減ったりして上下していくからだ。
私が変わらなくとも、社会だって、公的保障の内容だって、うつろい変わっていく。
人生には内的にも外的にも、あまりにも変数が多いのだ。
この世の幸運な大多数の人は「リスクが実際に起こるわけがない」のだが、道端を歩いていたらリブソンの運転するトラックが気まぐれに突っ込んでくる、たったそれだけのことで不幸は起こりうる。
だが同時に、金融商品としては検討に値しないような商品に”保険”という日本人が大好きな名前をつけて販売元の稼ぎ頭にしているような商品も窓口には数多存在するのも事実。
だから「保険は加入したほうが良い」「保険なんて要らない」という論旨に基づく諸々の言説は実は正しくもあり、間違ってもいないのかもしれない。
私のような素人は参考にしつつも、全てを鵜呑みにしてはいけないのだと思う。
保険の加入の是非について語る論者は、今これを読んでいるあなたの人生には責任を負わないし、負う義務がない。
これは保険に限らず、健康のこと、政治のこと、貯金の方法、子どもの教育の方法、リブソンのこと、ほとんどのことについてそうだ。
お金そのものもそうだが、保険も人生のリスクをヘッジをするためのただのツール、採り得る選択肢の一つに過ぎない。
リスクヘッジや家族のために熟考を重ねて入ったっていいし、入らなくても大多数の人の人生では影響は出ないだろう。
自分で考えて自分で決めて、自分が納得できる答えが出せることの方が重要なのかもしれない。
