「情報商材を魅力的に感じる」のはなぜだろうか
いざ「資産運用をしよう」と思ったのは22歳の時だったと思うのですが、「資産運用」で調べると玉石混淆、王道の方法から素人目にも怪しげな情報に至るまで、わらわらと様々な方法が出てきたのを覚えています。
怪しげな方法も何度も目にした記憶があるのですが、それが何度も目に入るというのは、意識・無意識、やる・やらないに関わらず私に興味があったからでしょう。
人間は「自分が見たい情報」に誘導されるもの。ましてや「ネットで目にした」というのは、道端を歩いていて勝手に目に入ってくる駅前の広告などと違い、自分から検索しない限りは現れないのです。
だって耳触りの良い文句が躍ってるんだもの。ついつい目で追ってしまうのが資本主義社会に生きる人間のさがでしょう。
ましてやお金についての教育を受けていない金融素人の私など、商品の是非を選定する眼力もなかったのですから、そういった情報と遭遇するのはもはや必然なのです。
だからこれから資産運用の情報を探そうと思っている人が読んでいたら、耳触りの良い文句に心を奪われる前に、少し心に留めておいてほしいのだ。
いくら私がマネーリテラシーも金融知識も皆無かつ欲の皮の突っ張った人間であるとはいえ、それでも別に「一発当ててやろう」とか、「ノーリスクで楽してお金を稼ぐ方法を探してバラ色の人生を歩むんだ!」とか思っていたわけでは決して、ああああありません。
「できるだけ安全」な方法を望むのが人間の心理ではあるものの、知識がない時にそれを求めると、ハイリスクな商品の情報に辿り着くのです。皮肉なものですが。
だって(その手法の正否はともかく)「素人の自分でも出来る」「損する可能性が少なくて」「出来る限り高いリターンを得られそうな」投資法を探すってことですからね。
んな燕の子安貝みたいなもん探してたらまともな金融商品はリスク面から排除されて詐欺商品とか情報商材しか残らないわけです。
まあ例外として、別にこっちが求めてなくても月利7%の投資の話を紹介される事例もあるのですが…。
「リスク」という単語は金融業界ではざっくりと”値動きの大きさ”を示す意味でも使われるのですが、もちろん金融素人が意識するのはそういう定義を定めたリスクではなく、単純に「危ない」という意味のリスクです。
だからぼんやりとしたアッパラパーなイメージで投資を捉えるし、「リスクが低い=損をしない」という思考はとりわけ危険であることに気づかない。
リスク=値動きの大きさ、と認識すれば投資でリターンを得るには相応のリスクを伴わなければならないことがわかるのですが。
ただ逆は成り立たないのが人間の業の深さと言いますか、必ずしもリスクさえ取れば相応のリターンが付いてくるとは限りません。
「ハイリスク・ノーリターン」投資は世の中腐るほど溢れていますが、「ノーリスク・ハイリターン」の投資は私が知る限りですが存在しない。それを謳う投資は投資ですらなく、100%詐欺だと思っています。
だから、実際探してみると”うまい話”はないことに気づく。
結局のところ、
個人向け国債の金利を見て「リスクは低そうだけど金利も低い…」
個別株に目を向けてみて「倒産したらパアじゃないか…」
投資信託を見て「ぼったくられるんじゃないか…」
FXを見て「なんか危なそう…」
ノーリスク・ハイリターンもしくは奇をてらった投資を見て「なんやこれ、うっふふ」
ときて、投資に興味を持ってはみたものの、「やっぱり投資は怖いものだなあ。やめておこう」とUターンした経験のある人も多いのではないでしょうか。
私なんか今の投資始めるかどうかで4~5年右往左往してたような。
だが、私のような金融知識ゼロからスタートする人の中には「投資をそもそも始めない」という思考の他に、こう考える人もいるはずなのだ。
「少額でもいいから副収入になるものが欲しい。何かうまい方法やツールを探せば、素人の自分でも損せずに恩恵を受けられるのではないか?」
で、この”ちょっとした心の間隙”を突いてくるのが情報商材や有料の自動売買ツールではないかと思うんですよね。
それは相場から生まれるちょっとした歪みをつく方法だったりするし、
業者のシステムの誤差から利益を掬い取るような方法だったりする。
「投資で”勝つ”」という表現が用いられる投資対象や手法は、投資家からは投資ではなく投機だと評価されているものが多い気がします。
なぜなら「勝者がいる」ということは同時に「敗者も存在する」ということであり、そもそもこの表現を使う人自身、投資を市場への参加者全員で投資対象の価値を奪い合うゼロサムゲームであると認識しているからだ。
ただ資産や市場自体の成長を期待して投資する場合などは損益を「勝った負けた」とは表現しないし、そもそも投資などしなくても多くの場合人生は進む。
他人と比しての勝ち負けにこだわる必要のない投資方法もあるのだ。
市場で発生する歪みの上澄みを掬い取ろうとする方法は一時的には有効かもしれませんが、歪みはいずれ修正される。
輝いて見えている近道は、実は踏み入れた瞬間足場ごと崩壊する奈落への道かもしれないのだ。
先の見えない暗闇の中でこれを見分けるには、知識という照明が必要になるのだろう。
「儲かる方法、あなただけに教えます」という文句は最近は見ませんが、それは私が「簡単に儲かる方法を他人にタダで教えるはずがない」と思っているから私の目に入らないだけで、世の中たくさん溢れているのでしょう。
リターンを得ようとするのであれば、相応のリスクを負うものなのだ。
私が書くと”運用による資産形成というのも結局のところ近道とは限らず、地道に行っていくものなのだろう”という結論になってしまうな。
ただ、個人ブログは一人の人間の現実的な声を発信することができていいね。その代わり夢もないけど…。
必ずしも投資することが人生において最善の選択ではないし、今採用している手法が最善であるとも限らない。
私にはまだそのような知識もないのだが、自分や家族の身を守ると意味でも、無駄な奈落転落を避けて(ベストでなくとも)ベターな選択ができる程度の知識は身に着けていきたいものだと思います。
人間は「自分が見たい情報」に誘導されるもの。ましてや「ネットで目にした」というのは、道端を歩いていて勝手に目に入ってくる駅前の広告などと違い、自分から検索しない限りは現れないのです。
だって耳触りの良い文句が躍ってるんだもの。ついつい目で追ってしまうのが資本主義社会に生きる人間のさがでしょう。
ましてやお金についての教育を受けていない金融素人の私など、商品の是非を選定する眼力もなかったのですから、そういった情報と遭遇するのはもはや必然なのです。
だからこれから資産運用の情報を探そうと思っている人が読んでいたら、耳触りの良い文句に心を奪われる前に、少し心に留めておいてほしいのだ。
いくら私がマネーリテラシーも金融知識も皆無かつ欲の皮の突っ張った人間であるとはいえ、それでも別に「一発当ててやろう」とか、「ノーリスクで楽してお金を稼ぐ方法を探してバラ色の人生を歩むんだ!」とか思っていたわけでは決して、ああああありません。
「できるだけ安全」な方法を望むのが人間の心理ではあるものの、知識がない時にそれを求めると、ハイリスクな商品の情報に辿り着くのです。皮肉なものですが。
だって(その手法の正否はともかく)「素人の自分でも出来る」「損する可能性が少なくて」「出来る限り高いリターンを得られそうな」投資法を探すってことですからね。
んな燕の子安貝みたいなもん探してたらまともな金融商品はリスク面から排除されて詐欺商品とか情報商材しか残らないわけです。
まあ例外として、別にこっちが求めてなくても月利7%の投資の話を紹介される事例もあるのですが…。
「リスク」という単語は金融業界ではざっくりと”値動きの大きさ”を示す意味でも使われるのですが、もちろん金融素人が意識するのはそういう定義を定めたリスクではなく、単純に「危ない」という意味のリスクです。
だからぼんやりとしたアッパラパーなイメージで投資を捉えるし、「リスクが低い=損をしない」という思考はとりわけ危険であることに気づかない。
リスク=値動きの大きさ、と認識すれば投資でリターンを得るには相応のリスクを伴わなければならないことがわかるのですが。
ただ逆は成り立たないのが人間の業の深さと言いますか、必ずしもリスクさえ取れば相応のリターンが付いてくるとは限りません。
「ハイリスク・ノーリターン」投資は世の中腐るほど溢れていますが、「ノーリスク・ハイリターン」の投資は私が知る限りですが存在しない。それを謳う投資は投資ですらなく、100%詐欺だと思っています。
だから、実際探してみると”うまい話”はないことに気づく。
結局のところ、
個人向け国債の金利を見て「リスクは低そうだけど金利も低い…」
個別株に目を向けてみて「倒産したらパアじゃないか…」
投資信託を見て「ぼったくられるんじゃないか…」
FXを見て「なんか危なそう…」
ノーリスク・ハイリターンもしくは奇をてらった投資を見て「なんやこれ、うっふふ」
ときて、投資に興味を持ってはみたものの、「やっぱり投資は怖いものだなあ。やめておこう」とUターンした経験のある人も多いのではないでしょうか。
私なんか今の投資始めるかどうかで4~5年右往左往してたような。
だが、私のような金融知識ゼロからスタートする人の中には「投資をそもそも始めない」という思考の他に、こう考える人もいるはずなのだ。
「少額でもいいから副収入になるものが欲しい。何かうまい方法やツールを探せば、素人の自分でも損せずに恩恵を受けられるのではないか?」
で、この”ちょっとした心の間隙”を突いてくるのが情報商材や有料の自動売買ツールではないかと思うんですよね。
それは相場から生まれるちょっとした歪みをつく方法だったりするし、
業者のシステムの誤差から利益を掬い取るような方法だったりする。
「投資で”勝つ”」という表現が用いられる投資対象や手法は、投資家からは投資ではなく投機だと評価されているものが多い気がします。
なぜなら「勝者がいる」ということは同時に「敗者も存在する」ということであり、そもそもこの表現を使う人自身、投資を市場への参加者全員で投資対象の価値を奪い合うゼロサムゲームであると認識しているからだ。
ただ資産や市場自体の成長を期待して投資する場合などは損益を「勝った負けた」とは表現しないし、そもそも投資などしなくても多くの場合人生は進む。
他人と比しての勝ち負けにこだわる必要のない投資方法もあるのだ。
市場で発生する歪みの上澄みを掬い取ろうとする方法は一時的には有効かもしれませんが、歪みはいずれ修正される。
輝いて見えている近道は、実は踏み入れた瞬間足場ごと崩壊する奈落への道かもしれないのだ。
先の見えない暗闇の中でこれを見分けるには、知識という照明が必要になるのだろう。
「儲かる方法、あなただけに教えます」という文句は最近は見ませんが、それは私が「簡単に儲かる方法を他人にタダで教えるはずがない」と思っているから私の目に入らないだけで、世の中たくさん溢れているのでしょう。
リターンを得ようとするのであれば、相応のリスクを負うものなのだ。
私が書くと”運用による資産形成というのも結局のところ近道とは限らず、地道に行っていくものなのだろう”という結論になってしまうな。
ただ、個人ブログは一人の人間の現実的な声を発信することができていいね。その代わり夢もないけど…。
必ずしも投資することが人生において最善の選択ではないし、今採用している手法が最善であるとも限らない。
私にはまだそのような知識もないのだが、自分や家族の身を守ると意味でも、無駄な奈落転落を避けて(ベストでなくとも)ベターな選択ができる程度の知識は身に着けていきたいものだと思います。
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