お金の「目的」は後から決めても良い
”充実する貯金”の成功のコツとして、「目的を決めて」「目標を持って」行うのがよい、ということが言われます。
この方法について、私もまったくその通りだと思っています。
なぜなら、具体性を伴う目標は達成しやすいのです。
いつまでに、いくら貯めればよいのかわかれば計画が立てやすくなるので、これらのことは貯金のコツとしてとても有効な方法であると思います。
達成した時に充実感や幸福感も得られる。
しかし、最適な貯金の目標や、お金を使う目的が今すぐ見つかる、という幸運な場合だけではないのも事実。
目的の決まっていない段階で「貯金ができない人は、目標を決めて貯金を頑張ろうネ」と言われても、早々思いつくとは限りません。
目的の無いお金は得てして行き当たりばったりな使い方になってしまうこともあります。
実際、今現在私の持っている預貯金のほとんどは「いずれ使う予定ではあれど、明確にいつ、いくら、何に使うのか決まっていない(目的のない)お金」です。
貯金の目標がない時や、持っているお金の目的を見いだせない時。
そういう時は、やりたいことや欲しいものをとりあえず決めておく、というよりもお金の使い道は後から決めるという考え方でよいのではないかと思います。
この方法について、私もまったくその通りだと思っています。
なぜなら、具体性を伴う目標は達成しやすいのです。
いつまでに、いくら貯めればよいのかわかれば計画が立てやすくなるので、これらのことは貯金のコツとしてとても有効な方法であると思います。
達成した時に充実感や幸福感も得られる。
しかし、最適な貯金の目標や、お金を使う目的が今すぐ見つかる、という幸運な場合だけではないのも事実。
目的の決まっていない段階で「貯金ができない人は、目標を決めて貯金を頑張ろうネ」と言われても、早々思いつくとは限りません。
目的の無いお金は得てして行き当たりばったりな使い方になってしまうこともあります。
実際、今現在私の持っている預貯金のほとんどは「いずれ使う予定ではあれど、明確にいつ、いくら、何に使うのか決まっていない(目的のない)お金」です。
貯金の目標がない時や、持っているお金の目的を見いだせない時。
そういう時は、やりたいことや欲しいものをとりあえず決めておく、というよりもお金の使い道は後から決めるという考え方でよいのではないかと思います。
1円は1円ですし、1万円は1万円です。
例えば、「私のお金(60万円)」ということで目的ごとに色分けをしてみます。
生活費として銀行口座に残している60万円のお金。
親孝行のために今私が貯めている60万円のお金。
コツコツ資産形成のために投資されるのを待っている60万円のお金。
投機に投下するかもしれない60万円のお金。
着ぐるみ代 女装おしゃれに使うかもしれない60万円のお金。
使い道を決めていない60万円のお金。
使い道が決まっているかいないかに関わらず、
その使い道が他者から見て好ましいかどうかに関わらず、
どの60万円を選んでも、
客観的には60万円のお金には60万円の価値がありますし、60万円の価値しかありません。
お金に色はありません。
色をつけるのは保有している人、使う人なんですよね。
高尚な人が使えば高尚な使い道になるし、逆もしかり。
くだらない使い方だと自分が思えば、そのお金はくだらないものになる。
世界の子供たちに適切な医療や教育をもたらすための寄付に使われるお金も、
何かアカンケチのついたお金も価値は同じ。
目的のないお金は色のない透明なお金。
けれどそのお金は実体(信用)を持っています。
持っておけば、必要になった時にすぐに塗り替えることができる。
人生に応じて後から色を決める、というのも一興ではないかと思うのですよね。
さて、「お金の目的は後から決めても良い」の考え方は、「お金を使えない人」にも有効だと思います。
お金との相性が悪い人の中には、
「貯まらない人」のほかに「お金を使えない人」がいます。
どういう人が該当するかというと、
お金自体は貯まっていくけれども、幸福度とは反比例してなんだか人生や生活はつまらないと感じる。
必要な支出のはずなのにお金を使うことに抵抗があったり、お金を使った後に罪悪感を感じてしまう。
他の人は自分よりたくさんお金を使っているのに、お金を使わない自分に焦ってしまう。
などです。
これらの「お金を持っていても楽しくない」「持て余している」要因の一つは、お金を持つ目的が決まっていないことが挙げられるのではないでしょうか。
多額の貯金をしていても、持っている人が「死に金」だと思えば、それは死に金になります。
なおこの「死に金の使い道」について「眠っているお金を働かせよう」的な文言で投資を啓蒙する記事も見るのですが、基本的に投資はリスクを伴うものですので、私は”眠っているお金があること”と”投資をすること”は全く切り離して考えるべきだと思っています。
投資とはただのツール。お金の置き場所の一つ、使い方として選べる選択肢の一つに過ぎませんので神聖化してはいけないと考えています。
投資は選ばれし特別な人間が行うものではなく、資本主義から生まれた俗物の一つです。
しかし、つまらないものだと思っても、今あるお金には持っている金額分の価値があります。
生きていればその貯金はいずれ必ず必要になりますし、本当にやりたいことが出てきた時、危機に陥った時、人生をアシストしてくれます。
目的のない貯金があって焦っている人は、必要になるその時まで、焦らずにまったり目的のない貯金を楽しむ…というのも選択肢の一つとしてありなのではないでしょうか。
さて、新しい着ぐるみ買ってくるか。
例えば、「私のお金(60万円)」ということで目的ごとに色分けをしてみます。
生活費として銀行口座に残している60万円のお金。
親孝行のために今私が貯めている60万円のお金。
コツコツ資産形成のために投資されるのを待っている60万円のお金。
投機に投下するかもしれない60万円のお金。
使い道を決めていない60万円のお金。
使い道が決まっているかいないかに関わらず、
その使い道が他者から見て好ましいかどうかに関わらず、
どの60万円を選んでも、
客観的には60万円のお金には60万円の価値がありますし、60万円の価値しかありません。
お金に色はありません。
色をつけるのは保有している人、使う人なんですよね。
高尚な人が使えば高尚な使い道になるし、逆もしかり。
くだらない使い方だと自分が思えば、そのお金はくだらないものになる。
世界の子供たちに適切な医療や教育をもたらすための寄付に使われるお金も、
何かアカンケチのついたお金も価値は同じ。
目的のないお金は色のない透明なお金。
けれどそのお金は実体(信用)を持っています。
持っておけば、必要になった時にすぐに塗り替えることができる。
人生に応じて後から色を決める、というのも一興ではないかと思うのですよね。
さて、「お金の目的は後から決めても良い」の考え方は、「お金を使えない人」にも有効だと思います。
お金との相性が悪い人の中には、
「貯まらない人」のほかに「お金を使えない人」がいます。
どういう人が該当するかというと、
お金自体は貯まっていくけれども、幸福度とは反比例してなんだか人生や生活はつまらないと感じる。
必要な支出のはずなのにお金を使うことに抵抗があったり、お金を使った後に罪悪感を感じてしまう。
他の人は自分よりたくさんお金を使っているのに、お金を使わない自分に焦ってしまう。
などです。
これらの「お金を持っていても楽しくない」「持て余している」要因の一つは、お金を持つ目的が決まっていないことが挙げられるのではないでしょうか。
多額の貯金をしていても、持っている人が「死に金」だと思えば、それは死に金になります。
なおこの「死に金の使い道」について「眠っているお金を働かせよう」的な文言で投資を啓蒙する記事も見るのですが、基本的に投資はリスクを伴うものですので、私は”眠っているお金があること”と”投資をすること”は全く切り離して考えるべきだと思っています。
投資とはただのツール。お金の置き場所の一つ、使い方として選べる選択肢の一つに過ぎませんので神聖化してはいけないと考えています。
投資は選ばれし特別な人間が行うものではなく、資本主義から生まれた俗物の一つです。
しかし、つまらないものだと思っても、今あるお金には持っている金額分の価値があります。
生きていればその貯金はいずれ必ず必要になりますし、本当にやりたいことが出てきた時、危機に陥った時、人生をアシストしてくれます。
目的のない貯金があって焦っている人は、必要になるその時まで、焦らずにまったり目的のない貯金を楽しむ…というのも選択肢の一つとしてありなのではないでしょうか。
さて、新しい着ぐるみ買ってくるか。
- 関連記事
