大人になるとやらなくなる遊び
幼少の頃の戯言でも。
子供の頃やっていた遊びって、大人になるとやらなくなりますよね。
次第に、おもちゃ遊びやままごとから離れるようになる。
大人になると、世界はもっと広くて狭いもので、そして「本物」は別にあると気づくからかなあ。
子供の頃やっていた遊びって、大人になるとやらなくなりますよね。
次第に、おもちゃ遊びやままごとから離れるようになる。
大人になると、世界はもっと広くて狭いもので、そして「本物」は別にあると気づくからかなあ。
しかし子供にとっては、水鉄砲、ダンボールで作った貧弱な秘密基地、人形遊び、おもちゃは「本物」であって、キラキラした宝物なのです。
水鉄砲は銃。
秘密基地はそれがダンボールであろうとも、紛れもなく本物の秘密基地。
ままごとや人形遊びは「なりきる」という想像をして「本物」になったつもりで楽しむものなのだ。
だから楽しい。
子供にとってはそこにあるものが全てであり、全力でそこにあるものを想像して楽しむのです。
大人になるとこういった遊びをやらなくなるのは、そういった未知のものを想像する楽しみを失ってしまうからではないかな。
知識を得たり現実を知ることと引き換えに、想像で補完するという能力が失われるのかもしれない。
子供の時に「本物」になりきって遊んだワクワクドキドキ感というのは、お金はかかりませんし、何よりもお金では買えないほど価値のある経験です。
想像して楽しむという感覚、大人になっても忘れないようにしたいものですね。
………
そういえば関係ないのですが私の子供の頃の遊びと言えば、女の子そう女の子らしくお人形遊びをしていました。
私の家にはガソリンスタンドやクレーンゲームの景品でもらったリスとかイヌとかのぬいぐるみがたくさんあったのです。
具体的には「借金ごっこ」なる人形遊びを近所の仲の良かった子とやっていました。
くまさんやワンコさんやうさぎさんのぬいぐるみを動かして遊ぶ私たちの様子は大人から見ればほほえましい普通の人形遊びに見えていたでしょうが、そのままごとの内容は惨憺たるもので、
それぞれ「借金取り」と「借金をしている貧乏家族」に役を割り振り、借金取りが貧乏家族へ日々借金の督促に訪れる、というおよそ小学校低学年で考え着くにはシュールでシビアな内容でした。
ちなみに私の役は主に借金取りの方でして、「困るんですよ、そろそろみみそろえて返してもらわないと、ウチもじぜんじぎょうじゃないんですから」「このままだとりそくがついてどんどん雪だるまのように増えていきますよ?」「今月はいくら返してくれるんです?」などといういやらしい催促から始まり、
家族が借金の返済に応じない場合は「このタンスはこの家になくても命に関わりませんよね?」と差し押さえた家具を売り払わせたりしていました。(タンスはシルバニアファミリーとかいうシリーズの家具)
ちなみにお金はあるだけ全て強奪するのではなく、死なない程度の必要最低限のお金は残して奪い取っていったあたりリアルさと小賢しさが垣間見えます。
なぜなら全財産をあるだけ徴収すると希望と体力を失って家族が働かなくなってしまうので返済が滞り、効率良く回収するためには借金取り役にも小賢しい計算と駆け引きが必要だったのです。
借金取り役には「いかに返済のモチベーションを落とさせず効率よく返済させるか」という交渉と駆け引きが求められる一方で、借金家族役にも「いかに生活をうまく回しながら借金を返済していくか」「根こそぎ財産を借金取りにむしり取られないようにするにはどのような言い訳をすればよいのか」という知恵が求められます。
互いの妥協点を駆け引きで探り、着地点を探して返済額を決定していく。
なにせ、徴収権は借金取りにあるものの借金家族が「お金ない、生活苦しいから返済やーめた」とゴネ出すと途端に借金取りの不利になるのです。
借金家族役の友達は
「子供が病気になってしまって…あと3日、あと3日だけ待ってください…!」
「明日になればお給料が入りますから、なにとぞ」
「あと1万円で生活しなくては、切り詰めるところは切り詰めないと」
「テーブル…テーブルだけは…!」
とうまいこと同情に訴えて返済期限を引き伸ばしつつ生活していました。
とまあ夢も希望もないこのままごとですが、この人形遊び、努力すれば借金を清算できるシステムになっておりまして、徐々に借金の返済が完了していく過程も楽し。
家族が涙ぐましい努力をして助け合い、地道に借金を返済していく感動譚なのです。
借金取り役である私は高単価かつつらい仕事を持ってきては家族を労働させたりボーナスや宝くじで当たったお金を強奪したりしたのですが、借金の残額を早く減らして家族に楽をさせてあげようという親心であって、家族をいじめるためではないのです。
しかし借金清算して幸せな生活に戻ったのも束の間、また新たに50万円が必要になったり、病気やリストラや火事などで家族に不幸が起こり、借金は決して途絶えないという波乱万丈に満ちたシュールなままごとになっていました。
(しかし死人だけは出なかった)
なんといっても「借金ごっこ」ですから借金がなくなることはないのです。
稼ぎ頭であるおとんがリストラされたり、家計を握っているおかんが働き過ぎで倒れた時は一番の修羅場でしたね。
小児の脳内で展開される「ままごと」とはいえ侮りがたし、2人以上集まればそこにはめくるめく波乱万丈の人生が凝縮されるのです。
今思えば利息という考え方や雪だるまの法則が身に着いたり、借金はするもんじゃないという教訓をいつの間にか得ていたり、人生不条理で満ちていると気づいたのも、こうした「ままごと」で得たものだったかもしれませんね!
(きれいにまとめる)
あなたのお子さんも想像で一つの人生を作り上げているかもしれない…
水鉄砲は銃。
秘密基地はそれがダンボールであろうとも、紛れもなく本物の秘密基地。
ままごとや人形遊びは「なりきる」という想像をして「本物」になったつもりで楽しむものなのだ。
だから楽しい。
子供にとってはそこにあるものが全てであり、全力でそこにあるものを想像して楽しむのです。
大人になるとこういった遊びをやらなくなるのは、そういった未知のものを想像する楽しみを失ってしまうからではないかな。
知識を得たり現実を知ることと引き換えに、想像で補完するという能力が失われるのかもしれない。
子供の時に「本物」になりきって遊んだワクワクドキドキ感というのは、お金はかかりませんし、何よりもお金では買えないほど価値のある経験です。
想像して楽しむという感覚、大人になっても忘れないようにしたいものですね。
………
そういえば関係ないのですが私の子供の頃の遊びと言えば、女の子そう女の子らしくお人形遊びをしていました。
私の家にはガソリンスタンドやクレーンゲームの景品でもらったリスとかイヌとかのぬいぐるみがたくさんあったのです。
具体的には「借金ごっこ」なる人形遊びを近所の仲の良かった子とやっていました。
くまさんやワンコさんやうさぎさんのぬいぐるみを動かして遊ぶ私たちの様子は大人から見ればほほえましい普通の人形遊びに見えていたでしょうが、そのままごとの内容は惨憺たるもので、
それぞれ「借金取り」と「借金をしている貧乏家族」に役を割り振り、借金取りが貧乏家族へ日々借金の督促に訪れる、というおよそ小学校低学年で考え着くにはシュールでシビアな内容でした。
ちなみに私の役は主に借金取りの方でして、「困るんですよ、そろそろみみそろえて返してもらわないと、ウチもじぜんじぎょうじゃないんですから」「このままだとりそくがついてどんどん雪だるまのように増えていきますよ?」「今月はいくら返してくれるんです?」などといういやらしい催促から始まり、
家族が借金の返済に応じない場合は「このタンスはこの家になくても命に関わりませんよね?」と差し押さえた家具を売り払わせたりしていました。(タンスはシルバニアファミリーとかいうシリーズの家具)
ちなみにお金はあるだけ全て強奪するのではなく、死なない程度の必要最低限のお金は残して奪い取っていったあたりリアルさと小賢しさが垣間見えます。
なぜなら全財産をあるだけ徴収すると希望と体力を失って家族が働かなくなってしまうので返済が滞り、効率良く回収するためには借金取り役にも小賢しい計算と駆け引きが必要だったのです。
借金取り役には「いかに返済のモチベーションを落とさせず効率よく返済させるか」という交渉と駆け引きが求められる一方で、借金家族役にも「いかに生活をうまく回しながら借金を返済していくか」「根こそぎ財産を借金取りにむしり取られないようにするにはどのような言い訳をすればよいのか」という知恵が求められます。
互いの妥協点を駆け引きで探り、着地点を探して返済額を決定していく。
なにせ、徴収権は借金取りにあるものの借金家族が「お金ない、生活苦しいから返済やーめた」とゴネ出すと途端に借金取りの不利になるのです。
借金家族役の友達は
「子供が病気になってしまって…あと3日、あと3日だけ待ってください…!」
「明日になればお給料が入りますから、なにとぞ」
「あと1万円で生活しなくては、切り詰めるところは切り詰めないと」
「テーブル…テーブルだけは…!」
とうまいこと同情に訴えて返済期限を引き伸ばしつつ生活していました。
とまあ夢も希望もないこのままごとですが、この人形遊び、努力すれば借金を清算できるシステムになっておりまして、徐々に借金の返済が完了していく過程も楽し。
家族が涙ぐましい努力をして助け合い、地道に借金を返済していく感動譚なのです。
借金取り役である私は高単価かつつらい仕事を持ってきては家族を労働させたりボーナスや宝くじで当たったお金を強奪したりしたのですが、借金の残額を早く減らして家族に楽をさせてあげようという親心であって、家族をいじめるためではないのです。
しかし借金清算して幸せな生活に戻ったのも束の間、また新たに50万円が必要になったり、病気やリストラや火事などで家族に不幸が起こり、借金は決して途絶えないという波乱万丈に満ちたシュールなままごとになっていました。
(しかし死人だけは出なかった)
なんといっても「借金ごっこ」ですから借金がなくなることはないのです。
稼ぎ頭であるおとんがリストラされたり、家計を握っているおかんが働き過ぎで倒れた時は一番の修羅場でしたね。
小児の脳内で展開される「ままごと」とはいえ侮りがたし、2人以上集まればそこにはめくるめく波乱万丈の人生が凝縮されるのです。
今思えば利息という考え方や雪だるまの法則が身に着いたり、借金はするもんじゃないという教訓をいつの間にか得ていたり、人生不条理で満ちていると気づいたのも、こうした「ままごと」で得たものだったかもしれませんね!
(きれいにまとめる)
あなたのお子さんも想像で一つの人生を作り上げているかもしれない…
