学ぶことにおいては「初心者」や「素人」でいた方が良い
私は投資やお金のことについては全くの素人であり、初心者なのですが、それで良いと思っています。
アメリカの学者であるダニエル・J・ブアスティンの言葉だっただろうか、
「発見を妨げる最大の障害は、無知ではなく、 ”知っていると錯覚すること”である」
というのが最も近い感覚でしょうか。
他の人のことは知りませんが、私に関して言えば、”物事に対して自分で思っているより遥かに無知”なんですよ。
ほんの少し今より詳しく知ろうとすればするほど、自分が無知であることに気づき、驚くのです。
ある事柄に対して「知っている」と思っても、実はその知識には底がない。
自分が底だと思った知識は、自分が思っているよりもずっとずっと深奥に底があるか、もしくはそもそも底などないのだ。
しかし底だと思ってしまうと、自分にとってはその地点が底になってしまう。
おお、ゲシュタルト崩壊してきたよ底っていう字が。
知っていると思ったら、そこで満足してしまう。
知っていると思ったら、そこで知ることを止めてしまう。
知っていると思ったら、そこから先の知識の向上や成長が望めなくなってしまうのです。
自分の興味のあること、これから学ぼうと思うことには自分が気づいていないだけで、まだまだたくさんの知識と発見が眠っているのだ。
学びたいことには、初心者であり、素人であった方がより多くの発見ができると思うのよ。
私は今「お金のこと」に興味を持っているので「投資」に絞って書いたけど、別に投資に限定する必要はなくて、興味のあるどんなことでもすべからく同じことが言える。
それは料理でもいいし、爬虫類の種類でもいいし、分子のゆらぎでもいいし、ガンダムでもいいし、モヒカン達に襲われた時の対処法でもいいわけよ。
極めるなどとおこがましいことは言わないが、思考の幅を広げてくれる何かを持っていると人生楽しめそうだおっおっお。
財産を持つということも大事だが、知識も大事な財産であって、人生を楽しむ上では財産を持っていた方が選択肢が広がるように思うのですよ。
もっとも、「資本(=実際のオカネ)」と「知識(=人生の財産)」の形成の両立は可能だと思うのです。
後者の形成に必要なのはお金ではなく、好奇心だからだ。
名は忘れてしまったが、認知症の権威と言われる偉いお医者さんが「天才になる秘訣は好奇心」だと言っていたな。
常に素人であることを自覚し、興味や好奇心を持ち続けることこそが凡人たる者の知識向上のカギなのではないかね。
私がこのブログで書いていることは「1からのど素人の知識」なんですよね。
過去記事全部チェックしてないけど、たまに自分のブログの記事を掘り返してみると「ああこの時はこのことに関して理解が足りてなかったんだな」と思うこともしばしば。(消せよ)
いろいろ迷走もしています。
当ブログは趣味ブログなんで、テーマには本業とは関係がないものを選んでいる。
(ブログでも仕事のこと考えるなんて嫌じゃ…)
だからこそ素人として触れる知識や発見は新鮮であり、例え得たのが乏しい知識でも、私にとっては進化なのです。
荒野がほんの少し畑になって広がる感じ。
ブログを始めたおかげでアウトプットでき、さらにコメントやツイッターで識者からインプットも得られる。
素人なので当然ながら、底が浅いだけではなく「ネットで見て間違って認識していた知識」「勘違いして覚えていた知識」もありました。
今もあると思います。
でも、仕事と違って自分のペースで勉強できるし、失敗したって構わない。
一つ理解するとおもしろくなってさらに知りたくなる。
好奇心とはそういうものなのだ。
幸いなことに、「お金のこと」は将来の選択肢を増やすための”実益”を兼ねており私にとってはいいことづくめ。
まあこれが仕事だとそうは言ってられないのが社会人。大人って嫌ね。
ウチのオトンは「人生常に勉強し続ける。進化を止めたら人間は終わり。」っつって60超えて何を思い立ったか宅建など取ってましたね。フルマラソンも完走するオッサンです。
宅建が実際の役に立つのかは知りませんが、新しいことを学ぶのに別に60過ぎてようが年齢は関係ないというスタンスは見習おうかね。
勉強し続けなきゃならないってこたーないと思いますし人様に勉強しろなんて偉そうなこと言って押し付けるつもりはありませんが、
学びを楽しもうとする姿勢ってのは結構有意義じゃないですかね。
「発見を妨げる最大の障害は、無知ではなく、 ”知っていると錯覚すること”である」
というのが最も近い感覚でしょうか。
他の人のことは知りませんが、私に関して言えば、”物事に対して自分で思っているより遥かに無知”なんですよ。
ほんの少し今より詳しく知ろうとすればするほど、自分が無知であることに気づき、驚くのです。
ある事柄に対して「知っている」と思っても、実はその知識には底がない。
自分が底だと思った知識は、自分が思っているよりもずっとずっと深奥に底があるか、もしくはそもそも底などないのだ。
しかし底だと思ってしまうと、自分にとってはその地点が底になってしまう。
おお、ゲシュタルト崩壊してきたよ底っていう字が。
知っていると思ったら、そこで満足してしまう。
知っていると思ったら、そこで知ることを止めてしまう。
知っていると思ったら、そこから先の知識の向上や成長が望めなくなってしまうのです。
自分の興味のあること、これから学ぼうと思うことには自分が気づいていないだけで、まだまだたくさんの知識と発見が眠っているのだ。
学びたいことには、初心者であり、素人であった方がより多くの発見ができると思うのよ。
私は今「お金のこと」に興味を持っているので「投資」に絞って書いたけど、別に投資に限定する必要はなくて、興味のあるどんなことでもすべからく同じことが言える。
それは料理でもいいし、爬虫類の種類でもいいし、分子のゆらぎでもいいし、ガンダムでもいいし、モヒカン達に襲われた時の対処法でもいいわけよ。
極めるなどとおこがましいことは言わないが、思考の幅を広げてくれる何かを持っていると人生楽しめそうだおっおっお。
財産を持つということも大事だが、知識も大事な財産であって、人生を楽しむ上では財産を持っていた方が選択肢が広がるように思うのですよ。
もっとも、「資本(=実際のオカネ)」と「知識(=人生の財産)」の形成の両立は可能だと思うのです。
後者の形成に必要なのはお金ではなく、好奇心だからだ。
名は忘れてしまったが、認知症の権威と言われる偉いお医者さんが「天才になる秘訣は好奇心」だと言っていたな。
常に素人であることを自覚し、興味や好奇心を持ち続けることこそが凡人たる者の知識向上のカギなのではないかね。
私がこのブログで書いていることは「1からのど素人の知識」なんですよね。
過去記事全部チェックしてないけど、たまに自分のブログの記事を掘り返してみると「ああこの時はこのことに関して理解が足りてなかったんだな」と思うこともしばしば。(消せよ)
いろいろ迷走もしています。
当ブログは趣味ブログなんで、テーマには本業とは関係がないものを選んでいる。
(ブログでも仕事のこと考えるなんて嫌じゃ…)
だからこそ素人として触れる知識や発見は新鮮であり、例え得たのが乏しい知識でも、私にとっては進化なのです。
荒野がほんの少し畑になって広がる感じ。
ブログを始めたおかげでアウトプットでき、さらにコメントやツイッターで識者からインプットも得られる。
素人なので当然ながら、底が浅いだけではなく「ネットで見て間違って認識していた知識」「勘違いして覚えていた知識」もありました。
今もあると思います。
でも、仕事と違って自分のペースで勉強できるし、失敗したって構わない。
一つ理解するとおもしろくなってさらに知りたくなる。
好奇心とはそういうものなのだ。
幸いなことに、「お金のこと」は将来の選択肢を増やすための”実益”を兼ねており私にとってはいいことづくめ。
まあこれが仕事だとそうは言ってられないのが社会人。大人って嫌ね。
ウチのオトンは「人生常に勉強し続ける。進化を止めたら人間は終わり。」っつって60超えて何を思い立ったか宅建など取ってましたね。フルマラソンも完走するオッサンです。
宅建が実際の役に立つのかは知りませんが、新しいことを学ぶのに別に60過ぎてようが年齢は関係ないというスタンスは見習おうかね。
勉強し続けなきゃならないってこたーないと思いますし人様に勉強しろなんて偉そうなこと言って押し付けるつもりはありませんが、
学びを楽しもうとする姿勢ってのは結構有意義じゃないですかね。
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