「普通」に注意しないとな
最初に言っておくと冗長な駄文です。
最近は、ブログにお越しいただける方々はもちろんのこと、他のブロガーさんやツイッタラーさんと交流させていただく機会が増えてとてもとても嬉しい限りです。
つい先日も「退職する同僚女子へプレゼントを贈ろうと思うが女子の喜びそうなものがわからない助けて」とツイートしたところ、お菓子からガーターベルトに至るまで様々な素敵なご意見をいただきました。
ご意見をくださったみなさま、ご親切にありがとうございます。
雑談に興じるだけでなく、知識豊富な方のブログを巡回したりアカウントをフォローすることで、いろいろな知識を享受できたりするわけです。
学ぶことに恵まれた環境であることを喜ぶと同時に、これが「(一般的という意味での)普通」にならないように注意しないといけません。
最近は、ブログにお越しいただける方々はもちろんのこと、他のブロガーさんやツイッタラーさんと交流させていただく機会が増えてとてもとても嬉しい限りです。
つい先日も「退職する同僚女子へプレゼントを贈ろうと思うが女子の喜びそうなものがわからない助けて」とツイートしたところ、お菓子からガーターベルトに至るまで様々な素敵なご意見をいただきました。
ご意見をくださったみなさま、ご親切にありがとうございます。
雑談に興じるだけでなく、知識豊富な方のブログを巡回したりアカウントをフォローすることで、いろいろな知識を享受できたりするわけです。
学ぶことに恵まれた環境であることを喜ぶと同時に、これが「(一般的という意味での)普通」にならないように注意しないといけません。
まず私のネットでの環境として、相互リンクブログさんにも投資ブログ・貯蓄ブログ・若くして早期リタイア目指すブログのブロガーさんが多数。
ツイッターで私がフォローさせていただいている方もやたらと金融商品の知識に富んでいるインデックス投資家の方々が多いです。
また、当ブログにコメントをくださるコメント者さんもマネーリテラシーや金融知識がやたら高い方(金融機関にお勤めの方や投資家さんなど)がいらっしゃり、知識や気づきを与えてくださる。
コメント者さんの層から察するに読者さんにも恐らく、同様に金融商品や資産運用に関して知識があるか、意識が高い方が多数いらっしゃるのではないかということが推測されます。
いや私自身は知識がないし素人なんですけど。
ブログで書いている話題に素人ながらお金の話が多いためなのか、周りに「お金に対して意識・知識が高く、年齢に比してたくさんの資産を持っている人」が多いことは間違いない。
世の中3割くらいの人は金融資産非保有であることを考えると、これは珍しい事態です。
ブログなどを始めると自分と同年代で自分より資産を築いている人なぞ周りにゴロゴロゴロゴロいることに気づきます。
私と同年代で私より多くの資産を持つ人々のリスク資産の比率は高く、私には到底真似できませんが…。
あくまで私には私の収入や許容リスクに応じた貯蓄目標があるので、「人は人である」という考えは変わりませんが。
人は人であれど、他人のお金を見ることで、自分のお金の使い方を一考できるのはとても有意義なことです。
これは私にとっては良い刺激になっており、悪い意味での安心(慢心や驕り…という表現が適切かはわからないが)を防ぐことができます。
しかし、資産が2千万3千万の状態を、(一般的な という意味で)「普通」と考えてはいけないよね。
これはブログを「読む側」になる場合もまったく同様で、資産や預貯金を増やそうと投資ブログや節約・貯蓄ブログを巡っていると、概ね資産額が大きい人や投資益の多い人のブログに引っ張られます。
なぜなら、儲けている人や貯めている人から少しでもノウハウや知識、考え方を学ぼうとするのはごく当然のこと。
お金を貯めたい人は、「ようやく10万円貯めたよ」という記事よりも「ようやく1000万円貯めたよ」という記事をクリックします。
こうした人たちのブログや文章を読むうちに、「普通」の基準が変わってきます。
それはそれで自分にとってプラスに働く方に変わるので良いのですが、世間一般の基準はそれとして、持っておくべきかもしれない。
個人によってバックグラウンドはさまざま。
まとまらない文章で申し訳ないのですが、要は自分の「普通」を、必ずしも他の人にも当てはまると考えないように注意しようね、ということでした。
お金に対する考え方なんて ほんの少しの知識や経験で変わったりするものだし、
自分の価値観を人に押し付けないでいることは、ごくシンプルではあれどとても難しいことだと思う。
どうしても、「こうすると良いんだ、こうすることが正しいんだ」と思うことが出てくる。
最近はちょっとした下落相場によって他の人を煽ったり蔑んだり笑ったりする人たちも目立ったのでね。
その中には、自分(の知識や手法)が正しいと信じるゆえに人への批判に繋がっていることを、本人は気づいてないケースもありそうな感じだ。
意図的に主張・批判する場合はこの限りではないですが、真実であるかや合理的であるかどうかは一旦置いておいて、「自身の行為や発言が客観的に見てどのように映るのか」、というところも考えて行動したいものですね。
匿名性の高いネットであればなおさら。
ちなみに私は投資についてもお金についてもまったくの初心者なので、ブログを始めてから自分は多くのことを間違えて覚えていたことに気づいたし、今も間違えて覚えていることがあるだろうし、これからも新しく得る知識によってどんどん考え方が変わってくると思います。
「走り始め」なのだと思います。
数か月後はまたポートフォリオについての考え方も変わっているかもしれませんし、しばしば一部の金融商品について自分の意見を述べる時に、「これは良くないものだ」と批判的な投稿をすることもあるかもしれません。
私の「普通」はこのようにどんどん変わっていきますが、読んでくれる人にとって浮世離れしたものや、不快感を抱かせるものにはならないようにしたいなあと願います。
実際はどうなっているかもわからんが。
おや、どうにもまとまりのない文章を書いてしまったな。
たまにはこのような駄文も良かろうて。
いつも駄文だけど。
ツイッターで私がフォローさせていただいている方もやたらと金融商品の知識に富んでいるインデックス投資家の方々が多いです。
また、当ブログにコメントをくださるコメント者さんもマネーリテラシーや金融知識がやたら高い方(金融機関にお勤めの方や投資家さんなど)がいらっしゃり、知識や気づきを与えてくださる。
コメント者さんの層から察するに読者さんにも恐らく、同様に金融商品や資産運用に関して知識があるか、意識が高い方が多数いらっしゃるのではないかということが推測されます。
いや私自身は知識がないし素人なんですけど。
ブログで書いている話題に素人ながらお金の話が多いためなのか、周りに「お金に対して意識・知識が高く、年齢に比してたくさんの資産を持っている人」が多いことは間違いない。
世の中3割くらいの人は金融資産非保有であることを考えると、これは珍しい事態です。
ブログなどを始めると自分と同年代で自分より資産を築いている人なぞ周りにゴロゴロゴロゴロいることに気づきます。
私と同年代で私より多くの資産を持つ人々のリスク資産の比率は高く、私には到底真似できませんが…。
あくまで私には私の収入や許容リスクに応じた貯蓄目標があるので、「人は人である」という考えは変わりませんが。
人は人であれど、他人のお金を見ることで、自分のお金の使い方を一考できるのはとても有意義なことです。
これは私にとっては良い刺激になっており、悪い意味での安心(慢心や驕り…という表現が適切かはわからないが)を防ぐことができます。
しかし、資産が2千万3千万の状態を、(一般的な という意味で)「普通」と考えてはいけないよね。
これはブログを「読む側」になる場合もまったく同様で、資産や預貯金を増やそうと投資ブログや節約・貯蓄ブログを巡っていると、概ね資産額が大きい人や投資益の多い人のブログに引っ張られます。
なぜなら、儲けている人や貯めている人から少しでもノウハウや知識、考え方を学ぼうとするのはごく当然のこと。
お金を貯めたい人は、「ようやく10万円貯めたよ」という記事よりも「ようやく1000万円貯めたよ」という記事をクリックします。
こうした人たちのブログや文章を読むうちに、「普通」の基準が変わってきます。
それはそれで自分にとってプラスに働く方に変わるので良いのですが、世間一般の基準はそれとして、持っておくべきかもしれない。
個人によってバックグラウンドはさまざま。
まとまらない文章で申し訳ないのですが、要は自分の「普通」を、必ずしも他の人にも当てはまると考えないように注意しようね、ということでした。
お金に対する考え方なんて ほんの少しの知識や経験で変わったりするものだし、
自分の価値観を人に押し付けないでいることは、ごくシンプルではあれどとても難しいことだと思う。
どうしても、「こうすると良いんだ、こうすることが正しいんだ」と思うことが出てくる。
最近はちょっとした下落相場によって他の人を煽ったり蔑んだり笑ったりする人たちも目立ったのでね。
その中には、自分(の知識や手法)が正しいと信じるゆえに人への批判に繋がっていることを、本人は気づいてないケースもありそうな感じだ。
意図的に主張・批判する場合はこの限りではないですが、真実であるかや合理的であるかどうかは一旦置いておいて、「自身の行為や発言が客観的に見てどのように映るのか」、というところも考えて行動したいものですね。
匿名性の高いネットであればなおさら。
ちなみに私は投資についてもお金についてもまったくの初心者なので、ブログを始めてから自分は多くのことを間違えて覚えていたことに気づいたし、今も間違えて覚えていることがあるだろうし、これからも新しく得る知識によってどんどん考え方が変わってくると思います。
「走り始め」なのだと思います。
数か月後はまたポートフォリオについての考え方も変わっているかもしれませんし、しばしば一部の金融商品について自分の意見を述べる時に、「これは良くないものだ」と批判的な投稿をすることもあるかもしれません。
私の「普通」はこのようにどんどん変わっていきますが、読んでくれる人にとって浮世離れしたものや、不快感を抱かせるものにはならないようにしたいなあと願います。
実際はどうなっているかもわからんが。
おや、どうにもまとまりのない文章を書いてしまったな。
たまにはこのような駄文も良かろうて。
いつも駄文だけど。
