お金を「貯める」と「使う」の本質は同じではないか
新社会人向けの記事などで、人生の先輩達が書かれた「若者ならお金を使って自己投資すべきだ」「将来のために貯蓄すべきだ」、といったような”消費または貯蓄を啓蒙・推奨する意見”を見ることがあります。
あるいはwebコンテンツで。あるいは雑誌のコラムで。あるいはブログで。
そういった記事を幸運にもお見かけしたら、ちらりと読みに行きます。
あるいはwebコンテンツで。あるいは雑誌のコラムで。あるいはブログで。
そういった記事を幸運にもお見かけしたら、ちらりと読みに行きます。
私は資産額推移や月々の支出額を公開しているため、それらの情報を見た人には「貯蓄すべきだ派」なのだろう…と誤解されてしまうことも多そうですが、まったく違います。
私はどちらの意見も持っていませんし、どちらの意見も持っています。
「貯めるべき」「使うべき」というどちらかの意見に偏るのは極端で好ましいことではなく、重要なのは両者のバランスだと思っています。
なぜなら、お金を「貯める」と「使う」は両極端に見えて、本質は同じではないかと思っているからです。
いったい、お金を何に使うべきなのか、何が価値があることなのか、という視点が人それぞれ異なるに過ぎません。
一つ問題提起をしますが、
お金を使うべきことって、この文章をご覧になっている方にとって、何でしょうか。
それはある人にとっては「楽しい経験」であったり、「知識や技術や文化」であったり、「将来の自分の武器にするために今やっておくべきこと」、「人脈作り」であったりする。
これらを重視する先輩は、”若い時には後悔しないように、お金を使っておこう!”というアドバイスをくれたり、そのような趣旨の記事を書いたりします。
それはある人にとっては「将来困らないようにする備え」や「複利」、「大事な誰かのための力」「安心」だったりする。
これらを重視する先輩は、”楽しむのもいいけど、若いうちからお金を貯めておくと役立つよ!”というアドバイスをくれます。
彼・彼女の主張が異なるのは、それぞれの人生の経験から得た教訓が人それぞれ異なるからです。
だから若い人がこれらの記事を参考にする時、
ただ鵜呑みにするのではなく、その文章を書いた人の経験や背景、人生観を推測すると、彼・彼女の言いたいことがより見えてくるでしょう。
若い時の自己投資が今たしかに身になっている先輩は、
「自分は若い時は全力でやりたいことをやったけど、今それをこんなふうに役立てているよ。あの時、お金を惜しんで貯金していたら今の自分はなかったよ」
「自分はこういう一見関係ないことにお金を使って、思わぬところでこんなふうに役に立ったよ。奥さんともそれで出会ったし、何が転ぶかはわからんよ」
という経験を書いて消費を勧めているかもしれません。
また貯蓄が役に立った経験を持つ先輩は、
「なんとなく貯めていた貯金だけど、こういう大変なことがあった時にすごく役に立った。だから、一見目的の無い貯金でも、貯めておくと役に立つよ。備えは大事だよ」
「やりたいことがあってお金を貯めていた。それから時間は経ってしまったけど、チャンスが訪れた時にすぐに行動に移せて、夢が叶ったよ。貯金がなかったら、できなかったと思う」
という経験を書いて貯蓄を勧めるかもしれません。
これらの意見のどちらが正しくて、どちらが悪いということはないと思うのです。
ならば、それぞれのメリットを吸収して、どちらの意見も役立てていけば良いのではないでしょうか。
追っていくと、結局のところ両者ともに「何にお金を使う価値を置くか考える」というまったく本質としては同じところに行き着きます。
また、価値を置く対象をたった一つに絞る必要はありません。
私には先に挙げた
「楽しい経験」「知識や技術や文化」「将来の自分の武器にするために今やっておくべきこと」「人脈作り」、
「将来困らないようにする備え」「複利」「大事な誰かのための力」「安心」
全て大事で、どれもお金をかけるに値する重要なことだと思っています。
しかし現実的にお金は有限なので、使い方のバランスを考えていく作業が必要になるのです。
だから私の主張は、”どちらでもなく、どちらでもある”という冒頭に述べたどっちつかずの意見になります。
いいとこどりですみませんなあ、ヒャッヒャッヒャ。
でも、「それ、いいなあ」ともし思ってくださった方がいたら、真似っこすればいいんですよ。
自分で既に価値観があるのならそれに沿って行動すればいいし、
新社会人で既に自分のお金の価値観が決まっている人は稀だと思いますので、信頼できるメンターを見つけてその人を追っていってもいいのです。意見は人の数だけあるのですから。
そして、同じ人生を歩む人がいないように、この命題に関して、万人が同じ答えを導くことはないはずです。
私は、それを考えるのはとても楽しいことだと思います。
さて私が注意すべきだと思うのは、「若者は消費すべき」「貯蓄すべき」という主張が、異なる考えの主張を極端に批判している場合です。
例えば、
「若者は自己投資すべきだ。将来のためと言って貯金している奴なんて、人生を楽しめないバカだ。」
「若者は貯蓄や投資をすべきだ。浪費するなんて、自己管理のできない先の読めないバカだ。」
という主張があったと仮定します。
なお、これは私が今適当に例として思いついただけですので、どこかの特定個人の言動を指しているものではありません、念のため。しかしネット広し、マジでこの主張を書いている人がいたら別の例文にするんで教えてね☆
他者の批判を伴う主張とは、世の中に自分と異なる様々な価値観が存在するということを知らない、もしくはそれを許容できない主張であるかもしれません。
攻撃的な表現が使われている文章を閲覧する際には、”強いことばに染められない”よう、心の片隅で注意しておくべきと考えます。
強いことばは牽引力がありますが、それに傾倒することは同時に、人生の多くの選択肢を奪うということでもあります。
いろいろ書きましたが、どうすればいいなんて、万人に当てはまる正解など決まっていない。
当ブログを含め数多の情報からは自分の役に立つことだけ掬い取る”参考”程度にして、自分の好きなように、…言うなれば”てきとう”にすればいいのではないか。というのが感想です。
私は頭ゆるゆるでボーっとしながら生きています。
やはりどのようなテーマで書いても、結論はだいたい「好きなようにやろう」になる…。
私はどちらの意見も持っていませんし、どちらの意見も持っています。
「貯めるべき」「使うべき」というどちらかの意見に偏るのは極端で好ましいことではなく、重要なのは両者のバランスだと思っています。
なぜなら、お金を「貯める」と「使う」は両極端に見えて、本質は同じではないかと思っているからです。
いったい、お金を何に使うべきなのか、何が価値があることなのか、という視点が人それぞれ異なるに過ぎません。
一つ問題提起をしますが、
お金を使うべきことって、この文章をご覧になっている方にとって、何でしょうか。
それはある人にとっては「楽しい経験」であったり、「知識や技術や文化」であったり、「将来の自分の武器にするために今やっておくべきこと」、「人脈作り」であったりする。
これらを重視する先輩は、”若い時には後悔しないように、お金を使っておこう!”というアドバイスをくれたり、そのような趣旨の記事を書いたりします。
それはある人にとっては「将来困らないようにする備え」や「複利」、「大事な誰かのための力」「安心」だったりする。
これらを重視する先輩は、”楽しむのもいいけど、若いうちからお金を貯めておくと役立つよ!”というアドバイスをくれます。
彼・彼女の主張が異なるのは、それぞれの人生の経験から得た教訓が人それぞれ異なるからです。
だから若い人がこれらの記事を参考にする時、
ただ鵜呑みにするのではなく、その文章を書いた人の経験や背景、人生観を推測すると、彼・彼女の言いたいことがより見えてくるでしょう。
若い時の自己投資が今たしかに身になっている先輩は、
「自分は若い時は全力でやりたいことをやったけど、今それをこんなふうに役立てているよ。あの時、お金を惜しんで貯金していたら今の自分はなかったよ」
「自分はこういう一見関係ないことにお金を使って、思わぬところでこんなふうに役に立ったよ。奥さんともそれで出会ったし、何が転ぶかはわからんよ」
という経験を書いて消費を勧めているかもしれません。
また貯蓄が役に立った経験を持つ先輩は、
「なんとなく貯めていた貯金だけど、こういう大変なことがあった時にすごく役に立った。だから、一見目的の無い貯金でも、貯めておくと役に立つよ。備えは大事だよ」
「やりたいことがあってお金を貯めていた。それから時間は経ってしまったけど、チャンスが訪れた時にすぐに行動に移せて、夢が叶ったよ。貯金がなかったら、できなかったと思う」
という経験を書いて貯蓄を勧めるかもしれません。
これらの意見のどちらが正しくて、どちらが悪いということはないと思うのです。
ならば、それぞれのメリットを吸収して、どちらの意見も役立てていけば良いのではないでしょうか。
追っていくと、結局のところ両者ともに「何にお金を使う価値を置くか考える」というまったく本質としては同じところに行き着きます。
また、価値を置く対象をたった一つに絞る必要はありません。
私には先に挙げた
「楽しい経験」「知識や技術や文化」「将来の自分の武器にするために今やっておくべきこと」「人脈作り」、
「将来困らないようにする備え」「複利」「大事な誰かのための力」「安心」
全て大事で、どれもお金をかけるに値する重要なことだと思っています。
しかし現実的にお金は有限なので、使い方のバランスを考えていく作業が必要になるのです。
だから私の主張は、”どちらでもなく、どちらでもある”という冒頭に述べたどっちつかずの意見になります。
いいとこどりですみませんなあ、ヒャッヒャッヒャ。
でも、「それ、いいなあ」ともし思ってくださった方がいたら、真似っこすればいいんですよ。
自分で既に価値観があるのならそれに沿って行動すればいいし、
新社会人で既に自分のお金の価値観が決まっている人は稀だと思いますので、信頼できるメンターを見つけてその人を追っていってもいいのです。意見は人の数だけあるのですから。
そして、同じ人生を歩む人がいないように、この命題に関して、万人が同じ答えを導くことはないはずです。
私は、それを考えるのはとても楽しいことだと思います。
さて私が注意すべきだと思うのは、「若者は消費すべき」「貯蓄すべき」という主張が、異なる考えの主張を極端に批判している場合です。
例えば、
「若者は自己投資すべきだ。将来のためと言って貯金している奴なんて、人生を楽しめないバカだ。」
「若者は貯蓄や投資をすべきだ。浪費するなんて、自己管理のできない先の読めないバカだ。」
という主張があったと仮定します。
なお、これは私が今適当に例として思いついただけですので、どこかの特定個人の言動を指しているものではありません、念のため。しかしネット広し、マジでこの主張を書いている人がいたら別の例文にするんで教えてね☆
他者の批判を伴う主張とは、世の中に自分と異なる様々な価値観が存在するということを知らない、もしくはそれを許容できない主張であるかもしれません。
攻撃的な表現が使われている文章を閲覧する際には、”強いことばに染められない”よう、心の片隅で注意しておくべきと考えます。
強いことばは牽引力がありますが、それに傾倒することは同時に、人生の多くの選択肢を奪うということでもあります。
いろいろ書きましたが、どうすればいいなんて、万人に当てはまる正解など決まっていない。
当ブログを含め数多の情報からは自分の役に立つことだけ掬い取る”参考”程度にして、自分の好きなように、…言うなれば”てきとう”にすればいいのではないか。というのが感想です。
私は頭ゆるゆるでボーっとしながら生きています。
やはりどのようなテーマで書いても、結論はだいたい「好きなようにやろう」になる…。
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